歌舞伎の名作

「女殺油地獄」と平成の現代

鈴木 章夫
 今回は数ある歌舞伎の作品の中から近松門左衛門の「女殺油地獄おんなごろしあぶらのじごく」を取り上げて見ようと思う。

 何故この作品を取り上げたかというと今から三百年前、江戸時代中期の近松のこの作品が平成の現代でも現代劇として立派に通用するからである。

 ただその前に歌舞伎に関心のない人も多くおられるので歌舞伎について説明したいと思う。

 よく歌舞伎は難しくてよくわからないという人が意外に多い。でもそれは全くの誤解である。そもそも歌舞伎は今から三百年ほど前、江戸時代の半ば元禄の頃、人形浄瑠璃から分かれて人間自身が演ずる庶民の中から生まれた大衆芸能である。

 こういう言い方は江戸時代の先輩に失礼かもしれないがこの時代は学校と云えば寺小屋で読み書きそろばんしか習わなかった人が作り出した大衆文化が歌舞伎である。

 それに比べて平成の現代、義務教育の中学は勿論、高校もほとんどのものが入学し更に大学も半分以上の男女が入学卒業している時代である。

 したがって歌舞伎が難しくてよくわからないなんていうことは全くのナンセンスである。むしろ今日では歌舞伎の多くの作品が教養ある現代人にとってあまりにも幼稚で易し過ぎて上演されない作品の方がはるかに多いのである。

 それにもかかわらず歌舞伎に馴染めないのは日本人でありながら邦楽を聞いていない人が多いからだと私は思う。歌舞伎はその名のとおり邦楽に合わせて踊り演ずるミュージカルだから邦楽の中で歌舞伎の舞踊、劇作に最も頻繁に使用される義太夫・清元・常磐津・長唄の四種類の邦楽がわかると歌舞伎は身近のものになる。

 さしずめ西洋音楽の名称で言うとソプラノが長唄、テノールが常磐津、アルトが清元、バリトン、パスが義太夫といったところである。

 この四種類の邦楽に関心をもち、その違いを聞いて理解できれば殆ど歌舞伎は面白くなる筈である。四種の邦楽以外のものはあまり歌舞伎には利用されない。



 その次に重要なのは歌舞伎の種類を知っておく必要がある。

 まず武士を主役にしたものは時代物、武士以外の農民、職人、商人などを主役にしたものは世話物という。

 そして江戸(東京)を舞台にしたものを関東歌舞伎、京都、大阪を舞台にしたものは関西歌舞伎と称し役者も二つにわかれている。

 立役者とは主役の男役。立女形は主役の女役。二枚目はイケメンの若い男役。若女形は娘役である。二枚目半、三枚目は喜劇役で老役は年寄りの役である。



 今回取り上げた「女殺油地獄」は大阪を舞台にした作品で関西歌舞伎の世話物である。

 「女殺油地獄」は享保6年(西暦1721年)近松門左衛門の晩年の作品である。

 この劇の主人公、河内屋与兵衛は大阪の油屋河内屋の次男で性格は意志薄弱で気の弱い小心者である反面、見栄っ張りで虚勢をはりたがる人物である。

 家業は長男がしっかり継承しており、自分は次男という身軽さから兄に協力するでもなく、さればといって独立する気概もなく、いたずらに遊び歩いている放蕩息子である。

 しかも実父がなくなり母は亡き夫が経営する油屋河内屋の番頭をしていた人物を夫として迎えたため父と与兵衛の間は義理の関係となっているので義父は自分が奉公していた店の先代の息子たる与兵衛の悪業を遠慮から思い切った注意ができなかったのである。

 又実母も二度目の夫に気を遣い与兵衛に対して適切な教育ができず夫と息子の間にたって苦悩する状態だった。

 このような環境をよいことに毎日遊び廻り挙句の果てに親を騙して取ってきた大金を使い果たし、友人知人から借金を重ねてその返済ができない状態に追い込まれていった。

 このような悪業を重ねる河内屋与兵衛に対し、同じ大阪で油屋を営む豊島屋のお吉という人がいた。劇の中でお吉さんが日頃、与兵衛を何とか真人間にするために善意の忠告を度々行なっていたが与兵衛は聞く耳を持たず、そればかりかお吉さんが美人であることにつけこみ人妻であるお吉さんに横恋慕する有様だった。

 窮地にたった与兵衛は数ある借金の返済に困り或夜、豊島屋の主人が外出している時を狙いお吉のところへ金を無心にいき、お吉の出した金が少ないとみるや更に増額を要求し、断られて遂にお吉を殺害してしまう。

 又、この間、与兵衛は家庭内にあっては義父や実母、妹等に自分の都合の悪いことを忠告されると今日で言う家庭内暴力を繰り返した。



 以上がこの劇の内容であるが、江戸時代中期、儒教による道徳規律がもてはやされた時代であったため余りの非道徳的な内容のため受けなかったようである。

 ところが明治に入って坪内逍遥がこの作品の現代性に注目し今日に至るまで度々上演されるようになった。

 私も何回か見ているが平成の現代でも全く違和感がなく現代劇としても立派に通用する作品である。

 この作品は当時、大阪で実際にあった事件を題材にして近松が歌舞伎の劇にしたものである。勿論結末は河内屋与兵衛は逮捕され、市中引き廻しのうえ、打首獄門に処せられたのであり、今日でも死刑に処してもなおあきたらない極悪非道の人物である。

 今更ながら思うことは日本のシェイクスピアといわれている江戸時代中期の劇作家、近松門左衛門の作品が三百年の時を経ても現代に通じる生き生きとした脈を打つ作品であることに私は感嘆する。

 しかしながら又一方において平成の現代にも元禄時代と同じように平成の河内屋与兵衛のような極悪人が絶えないことも残念であり複雑な思いでもある。

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